幸せ食堂物語 第1話そのカフェは、住宅街の一角にあった。「いらっしゃいませ。」 少し緑がかった青を基調とした室内は、椅子やテーブル、食器類に至るまで青で統一されていた。 店名は“シエル”なのだが、青で統一された室内からか、人々はいつしかそのカフェを、“ブルーカフェ”と呼ぶようになった。 そのカフェの客の大半は、十代から九十代までの女性ばかりだった。 「いらっしゃいませ。」 何故なら、カフェの店主が何処か謎めいた男だからだった。 彼がこの店をオープンさせたのは、三年前。 パリの三ツ星レストランでシェフをしていたという男―セバスチャン=ミカエリスがカフェで作るのは、海老フライやオムライス、ハンバーグといった、所謂“大衆料理”だった。 セバスチャンが作る料理は、どれも美味しいのだが、その中でも美味しいのは、“幻のガトーショコラ”である。 それは、毎年十二月十四日のみ提供される、甘くて濃厚なガトーショコラの上に、酸味がきいたラズベリーソースをかけた絶品スイーツ。 数量限定なので、開店してから五分で完売してしまう為、“幻のガトーショコラ”と呼ばれていた。 (今日は、寒いですね。) 白い息を吐きながら、セバスチャンは階下へと降りていった。 セバスチャンは、カフェの二階の住居部分に住んでおり、一階の厨房で食事を作っている。 「さてと、今日は坊ちゃんの為に、エッグベネディクトを作りましょうかね。」 セバスチャンは愛用のエプロンをつけた後、二人分の朝食を作った。 「坊ちゃん、お目覚めの時間ですよ。」 「ん・・」 ベッドの中でシーツを頭から被っているのは、セバスチャンの恋人であるシエルだった。 三年前、セバスチャンとシエルは互いに惹かれ合い、全てを捨ててこの極東の島国に来た。 「今日は、エッグベネディクトか。悪くない。」 「坊ちゃん、今日は寒いので、くれぐれもお風邪などを召されませんように。」 「あぁ、わかっている。」 朝食を食べ終えたシエルは、セバスチャンに着替えを手伝って貰った。 「そんなに踵の高い靴をお履きになって、大丈夫ですか?」 「あぁ、大丈夫だ。」 シエルはそう言うと、セバスチャンから弁当を受け取った。 「では、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」 「行って来る。」 シエルを玄関先で見送った後、セバスチャンは厨房でランチの下拵えを始めた。 「いらっしゃいませ。」 「今、いいですか?」 「はい、どうぞ。本日の日替わりランチは、海老クリームコロッケと大根と玉葱のスープです。」 「うわぁ~、美味しそう!頂きます!」 この日、ランチで“シエル”を訪れた女性客は、SNSに海老クリームコロッケ定食の写真を、こんなコメントと共に上げた。 『カニクリームコロッケは今まで沢山食べて来たけれど、海老クリームコロッケは初めて!』 ランチの営業が終わり、セバスチャンは溜息を吐いた後、紅茶を飲んだ。 (ディナーの下拵えも済みましたし、少し二階で休みましょうかね・・) セバスチャンは店の札を『準備中』にすると、二階に上がって仮眠を取った。 夕方、シエルは駅前にある商業複合施設内にある書店で、気になっている作家の新作を買い、その本を帰りの電車の中で読んだ。 余りにも夢中になってその本を読んでいたので、シエルが自分の前に一人の男が経っている事に気づいたのは、後少しで最寄駅に到着するという時だった。 「ひっ、ひっ、こんな所で会えるなんて、嬉しいねぇ。」 長い銀髪を揺らし、黄緑色の瞳で自分を見つめる男にシエルは恐怖を抱き、本を鞄の中にしまうと、隣の車両へと逃げた。 (何なんだ、あいつは!?) 「あ~あ、逃げられちゃったぁ~。まぁいいや、また会えるかもしれないし・・」 男はぶつぶつとそう呟くと、次の駅で降りていった。 「お帰りなさいませ。」 「ただいま。」 「どうされたのですか、坊っちゃん?何処か浮かない顔をされていますが・・」 ジャンル別一覧
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